大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和53年(ワ)1735号 判決

原告

松浦和則

被告

東政生

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

「被告は原告に対し金一一五〇万円及びこれに対する昭和四九年一月二〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求める。

第二請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第三請求の原因

一  (事故発生)

原告は、次の交通事故によつて傷害を受けた。

1  発生日時 昭和四九年一月二〇日午後五時五〇分頃

2  発生場所 福岡県筑紫野市諸田二〇九番地の一先路上

3  加害車両 普通貨物自動車(佐四四さ五六二七)

右運転者 被告

4  被害車両 普通乗用自動車(福岡五五ち五九八六)

右運転者 松浦公時

5  事故態様 正面衝突(加害車両が中央線を越えて来た。)

6  受傷状況

(一) 原告は、当時、四か月の胎児であつた。原告を懐胎していた母松浦ミヨ子は、頭蓋骨々折等の重傷を負つた。

(二) 原告は、昭和四九年七月一八日出生した。成長するに従つて、点頭てんかんの症状を呈し、運動機能と精神機能の障害が顕在化した。

(三) 原告は、昭和五二年六月、自賠法施行令別表等級第七級に該当するとの認定を受けた。

7  因果関係

(一) 原告の点頭てんかんの症状は、本件事故による母体、胎児への物理的衝撃、治療のために使用された薬物の化学的影響、母体機能の低下や低栄養状態に起因する。

(1) 原告の分娩経過は、正常であつた。出産予定日(昭和四九年七月二五日)より早い出産であつたから、過熟児、過期産ではなかつた。生下時体重が二八五〇グラムであつたから、未熟児でもなかつた。出生後の状態は正常であつた。新生児黄疸その他の異常はなかつた。

(2) 妊娠四か月の胎児は人体の基礎的な器官が形成される時期にあたるので、本件事故によつて受ける物理的衝激の影響は、出生後の場合よりも、むしろ大きい。

(3) 原告の母ミヨ子は、本件事故によつて、抗生物質であるカナマイシンやホルモン剤である黄体ホルモンを長期に亘り継続して投与された。これらの薬剤は、胎児の先天異常や新生児障害を起す一因となるものである。

(4) 本件事故による母体の衰弱も、胎児に与える影響が大きい。

(二) 原告の右症状は、本件事故以外の原因に基づくものではない。

(1) 脳腫瘍、脳出血

原告には、CT検査の結果、脳外科的治療を要するような異常所見はなかつた。

(2) 尿毒症、急性熱性疾患、内分泌疾患

原告の母ミヨ子は、妊娠時の検診で、尿毒症ではなかつた。原告も、出産時及び出産後、尿毒症や内分泌疾患がなかつた。急性熱性疾患もなかつた。

(3) アルコールその他の中毒、遺伝、素質

原告の父公時、母ミヨ子は、酒量の限度が人並かそれ以下であつて、アルコール中毒になつたことはない。また、血縁中に、てんかん症状をもつている者もいない。

(4) その他に、原告の母ミヨ子が妊娠中ウイルスに感染したことはなかつた。

二  (責任原因)

被告は、加害車両を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法第三条により、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任がある。

三  (損害)

1  逸失利益

原告は、前記後遺症により、次のとおり、将来得べかりし利益を喪失した。その額は、金二五八八万五六六九円と算定される。

(一) 事故時年齢 四か月の胎児

(二) 稼働年数 一八歳から六七歳まで

(三) 収益年額 賃金センサス昭和五二年産業計企業規模計学歴計による男子労働者の平均年収金二八一万五三〇〇円

(四) 喪失割合 労働能力喪失率五六パーセント

(五) 中間利息 新ホフマン式計算による(係数一六・四一九)

2  慰藉料額

原告の本件傷害による精神的損害を慰藉すべき額は、前記の諸事情に鑑み、金八三六万円が相当である。

3  損害填補

原告は、自賠責保険から金八九〇万五六五〇円を受領した。

4  弁護費用 金一五〇万円

四  よつて、原告は、被告に対し、右損害金二六八四万〇〇一九円の内金一一五〇万円とこれに対する本件事故発生の日である昭和四九年一月二〇日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第四請求原因に対する認否

一  請求原因一につき

1  同1乃至5の事実は認める。

2  同6の事実は知らない。

3  同7の事実は争う。

てんかんの原因は、脳腫瘍、脳出血、尿毒症、急性熱性疾患、内分泌疾患、アルコールその他の中毒、遺伝、素質のほか、難産による酸素不足、胎内でのウイルス感染など多くのものがある。黄体ホルモンの投与があつたとすれば、それは、本件事故と関係なく投与されたものである。本件事故の際、母体への一回限りの衝撃がてんかんの生ずる外的因子の影響と考えることはできない。従つて、本件事故による蓋然性は極めて低い。

二  同二の事実は認める。

三  同三の事実中3の事実は認めるが、その余の事実は争う。

第五証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因一1乃至5の事実及び同二の事実は、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一号証、同第六号証の一乃至五、同第一〇号証の一、原告法定代理人松浦ミヨ子尋問の結果によつて真正に成立したと認められる同第五号証に右原告法定代理人尋問の結果によると、原告は、昭和四九年七月一八日出生したが、生後七か月位で福岡大学病院小児科の精密検査を受けた際、脳波に異常があり、点頭てんかんと診断され、この頃に現れていた痙攣の治療のため、一か月半位入院したこと、昭和五三年三月一日現在でも、強直性痙攣があり、抗痙攣剤の投与を受けていること、左上下肢痙性麻痺のため独り歩きができず、身体障害者等級表の四の6、第二級該当として身体障害者手帳の交付を受けていること、五歳直前でパパ、ママ程度しか喋ることができない言語障害があり、知能検査の結果でも一歳半位の遅れがあり、精神運動発達遅延と診断されたこと、昭和五四年八月一三日久留米大学医学部附属病院で頭蓋内精査のためCTスキヤンを施行したが、脳外科的治療を要するような異常所見がないと診断されたこと、その他にも、斜視、遠視の症状があることが認められる。

二  請求原因二の事実は、当事者間に争いがない。従つて、被告は、原告の右傷害が本件事故に基づくものであるならば、自賠法第三条により、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任があるといわなければならない。

三  そこで、原告の右症状が本件事故に基づくものかどうかを検討する。

1  成立に争いのない甲第八、第九号証、同第一一号証、同第一二号証の一乃至一〇、原告法定代理人松浦ミヨ子尋問の結果によつて真正に成立したと認められる同第三、第四号証、右原告法定代理人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告の母ミヨ子は、本件事故当時、妊娠四か月で原告を懐胎していた。本件事故によつて、前額部挫創、頭蓋骨骨折、頸椎捻挫、前胸部挫傷、右膝関節部挫創の傷害を受け、昭和四九年三月八日まで小西第一病院に入院した。同女は、頭蓋骨半分以上に及ぶ骨折があり、頭蓋内出血、脳圧亢進のため、入院後一か月間位、頭痛、意識混濁、吐気、嘔吐があつて、摂食も殆どなく、輸液による栄養補給を受けた。入院中、一度、産科医の診察を受けたが、流産の惧なく、妊娠に異常はないとのことであつた。

同女は、退院後昭和四九年六月三〇日まで、右病院に通院して、注射、服薬、電気治療を受けた。同年八月通院し、同年九月に二〇日間ばかり入院した。現在でも、頭部外傷後遺症がある。

(二)  母ミヨ子は、昭和四九年一月一九日、母子手帳の交付を受け、同年七月二五日が出産予定日で、同年三月から七月までの診察では何ら異常はなかつた。同年七月一八日、宮原産婦人科での出産も正常であつた。

(三)  原告の父母の近親者は、一様に、原告の父方にも、母方にも、てんかんの症状を呈する者がいなかつたという。

(四)  小西第一病院の医師小西哲郎は、原告のてんかん症状が、母ミヨ子の受けた受傷の大きさ、原告が胎内にいた時、母体が低栄養状態であつたことが原因となつたことを否定することができない。また、ミヨ子が妊娠中治療のため投与された注射、内服薬の薬物の影響も絶対なかつたとは断定し難いと判断した。

2  一方、成立に争いのない甲第一三、第一四号証、乙第一号証によると、次の事実が認められる。

(一)  点頭てんかん(医師福山幸夫は、「乳幼児前屈型小発作」の新病名を提唱する。)の原因及び本態は、未だ殆ど明らかにされていないと同医師は、昭和三五年に書いている。

(二)  研究報告によると、発病原因として、出生前因子として、遺伝、先天性(細分すると、結節性脳硬化症、フエニル焦性葡萄酸性精神薄弱、汎発性脳硬化症、先天性脳形成不全、蒙古症、妊娠中毒症・糖尿病・母体感染症・胎盤形成不全等妊娠中の母体異常)、出生時因子として過熟児・過期産等、出生後因子として中枢神経感染症、神経梅毒等が挙げられている。

(三)  右のうち、先天性脳形成不全と思われる症例は、胎児が形成発育過程の途上に何らかの外的因子の影響を受けて脳障害を受けたと考えられるもので、先天性の眼球・網膜異常や斜視があり、痙性麻痺を伴う例が報告されている。

また、妊娠中の母体異常と思われるのは、妊娠中に異常な出来事があつても、胎児にどの程度の影響を与えたかは、厳密には明らかにできないが、胎児への酸素の供給が減少することによつて、胎児脳に酸素欠乏障害を惹起することが原因と考えられるという。

(四)  母体が妊娠中交通事故によつて衝撃を受け、それが胎児に影響を及ぼしたという例は、報告されていない。

3  以上の認定事実に基づいて考えるに、点頭てんかんの発症原因が必ずしも明らかではないとはいえ、研究報告された例から見るのに、原告の場合、出生時及び出生後因子によることは、一応否定するのが相当であろう。出生前因子の中でも、遺伝による場合も、これを否定するのが相当であろう。従つて、先天性又は胎内性の原因によるというべきところ、その原因として、原告が胎内において脳器質に何らかの影響を受けたのではないかと考えることができよう。その影響を受けるものとして、原告の主張するように、本件事故時の衝撃又は母体の受傷による低栄養状態を考え、これによつて本件事故との因果関係を肯定する余地がないとはいえない。原告の両親がそう考えるのも、あながち理由のないこととはいえず、当裁判所もその心情を理解することができる。しかし、これとても、所詮は、その可能性を否定することができないという程度以上に出るものではなく、前顕甲第四号証の記載も、この意味において、これだけで因果関係を肯定するには、十分でない。点頭てんかんの発症原因が右認定のように多くあり、これを探究するには、綿密に事実を確定したうえ、これに基づいて医学的な観点からの判断が必要であるというほかない。本件に現れた事実だけで、これを断定するには、原告にとつてまことに気の毒ではあるが、未だ躊躇せざるを得ない。

従つて、原告の症状が本件事故に基づくことについては、これを認めることができない。

四  してみれば、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例